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2018年7月 信仰による救い

「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」 (マルコによる福音書5章34節より)
牧師 黒田浩史

イエス様によって病気をいやしてもらった女性と、死んだ娘を生き返らせてもらった男性が登場します。

病気をいやしてもらった女性は、12年間も出血が止まらず、多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけでした。しかし、イエス様が近くにやって来られたので、そのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエス様の服に触れました。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからです。
すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じました。
イエス様は、自分の内から力が出て行ったことに気づき、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのは誰か」と言われました。女性は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話しました。
当時は、出血している女性は汚れていると見做され、一般の人に近づくことも禁じられていました。そして、他人の服に触れてその力をもらうことは、その人から力を盗み取るような行為と思われていました。
ところがイエス様は、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と仰せになりました。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と信じてイエス様にお願いしたことを、高く評価されたのです。

死んだ娘を生き返らせてもらった男性は、会堂長であり、社会的地位の高い人でした。にもかかわらず、人目を気にせずにイエス様の足もとにひれ伏し、「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください」とお願いしました。この方ならいやしてくださると信じてお願いしたのです。
彼の娘は、イエス様が家に到着する前に亡くなりました。しかしイエス様は、子供の手を取って「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味のことを仰せになりました。すると、少女はすぐに起き上がり、歩き出しました。イエス様は、死んだ人をも生き返らせる力を持っておられるのです。

この方を信じる人は、死んでも生きるのです。生きていてこの方を信じる人はだれも、決して死ぬことはないのです。このことを信じましょう(ヨハネ11:25-26参照)。

2018年6月 人のための律法

安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。(マルコによる福音書3章4節)
牧師 黒田浩史

安息日についての御言葉です。旧約の律法には、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」と書いてあります(申命記5:13-14)。
しかしイエス様の弟子たちは、安息日に麦の穂を摘みました(マルコ2:23-28)。イエス様ご自身も、安息日に片手の萎えた人の病気をいやされました(同3:1-6)。前者は収穫の仕事、後者は医療の仕事であると見做されていたので、安息日の掟を破ったとして、イエス様を非難する人々がいました。

そこでイエス様は、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と仰せになりました(同3:4)。当時の人々は、律法を形式的には守っていましたが、その本当の意味を見失っていたのです。

安息日の意味は、次のように書いてあります。「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」(申命記5:15)。神様の救いの御業を思い起こして感謝することこそ、安息日の本当の意味です。そのために仕事を手を休めるのです。

ユダヤ教の安息日は土曜日ですが、イエス様の十字架と復活の後、信じた人たちはイエス様の復活された「週の始めの日」すなわち日曜日を「主の日」と呼んで、イエス様の復活を思い起こして感謝をささげる日としました。曜日やその意味合いは変わりましたが、私たちは主の日に礼拝に集い、神様の御業を思い起こして感謝をささげます。

仕事の手を休めるのは、たとえ人間が一所懸命に働いたとしても、労働の実りを与えてくださるのは神様であることを思い起こすためでもあります。
人間の努力や働きの背後で働いてくださる神様に信頼して、日曜日には礼拝に集い御言葉を聴いて、神様の御業に感謝をささげましょう。

2018年5月 愛の掟

あながたがも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。(ヨハネによる福音書15章10節より)
牧師 黒田浩史

イエス様は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(5節)、「わたしにつながっていなさい」(4節)と仰せになりました。主日礼拝に集うことによって、私たちはイエス様とつながります。
そしてイエス様は「あながたがも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」とも仰せになりました(10節)。イエス様の掟とは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」との掟です(12節)。この掟を守ることによっても、私たちはイエス様とつながることができます。

イエス様は「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」とも仰せになりました(ヨハネ13:35)。弟子たちが互いに愛し合う姿を見て、まだ信じていない人たちがイエス様を信じるようになるというのです。
使徒言行録には、初期の教会の様子が記されています。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」とあります(使徒言行録4:32-33)。イエス様の復活を信じた人たちが、その教えに従い、互いに愛し合っている姿を見て、まだ信じていない人たちが信じて教会に加わってきたのです。「弟子の数はエルサレムで非常に増えていった」とあります(使徒言行録6:7)。

この掟の前半では、「わたしがあたがたがを愛したように」と言われています。イエス様が私たちに数多くの恵みを注いでくださり、特に十字架の上で私たちの罪の赦しのために苦しんでその命を献げてくださったことを意味しています。
私たちはまずは、自分の罪の大きさを思い、心から悔い改める必要があります。そして、イエス様が自分に対して、さまざまな形で愛を示してくださったことを思い起こす必要があります。

イエス様の愛を感じ、これに心から感謝して、私たちも互いに愛し合う者となれるように、ペンテコステ(聖霊降臨祭)を迎えるこの季節、聖霊の恵みを切に願い求めましょう。

第67回日本キリスト教会 近畿中会報告

第67回近畿中会が3月21日(水)~22日(木)に大阪西教会で開催されました。正議員54名、員外議員15名の出席により進められました。住吉教会から黒田浩史牧師とH長老(21日)、I長老(22日)が正議員として出席しました。礼拝献金額 913,343円(内教会 860,000円)、聖餐式陪餐者は104名でした。
1 主な可決事項は次の通りです。
(1) 議長に有賀文彦垣教会牧師が選出され、書記に西村ひかり池田教会牧師が再選されました。
(2) 常置委員に、井上一雄名東教会牧師、藤田英夫大阪姫松教会牧師、藤田浩喜西宮中央教会牧師、浅田忠敬豊中中央教会長老、吉田純香里園教会長老、小林正高槻教会長老が選出されました。
2 諸報告の報告を受け、それらが承認されました。
3 承認事項は次のとおりです。
(1) 教師福井重蔵の明石大久保教会牧師解職願
(2) 教師池永順一の神戸桜ケ丘伝道所牧師解職願
(3) 教師安田修の泉北伝道所牧師解職願
(4) 教師池永順一の明石大久保教会牧師就職願
福井重蔵先生と安田修先生は引退で、池永順一先生の明石大久保教会牧師就職に伴い、神戸桜ケ丘伝道所と泉北伝道所が無牧となりました。
4 建議案:今年はありませんでした。
5 選考委員会より、ジュニア青年部指導委員として黒田浩史牧師が、小会記録審査委員として原田亮長老が選出されました。
中会教情報告によりますと、現住陪餐者数は前年比で36名減、主日礼拝平均出席者数も前年比で58名減と厳しい数字が並びます。こうした状況を踏まえて、わたしたちの祈りの課題に加えていきたいものです。

2018年4月 見ないで信じる

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネによる福音書20章29節)

牧師 黒田浩史

イエス様が十字架に掛けられて殺された翌々日、ユダヤの安息日の次の日の朝のことでした。女性の弟子たちが墓へ行ってみると、墓の入り口の石はわきへ転がしてありました。白い長い衣を来た若者が右手に座っていて、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と言いました(マルコ16:1-7参照)。
イエス様が予告されていたとおり、三日目に復活されたのです。

イエス様が復活された日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵を掛けていました。そこへ、イエス様が来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。
弟子たちが集まっている姿は、信じる人たちが主の日の礼拝に集う姿を表しています。復活のイエス様は、礼拝共同体の真ん中に来てくださり、平和を与えてくださるのです。

弟子の一人であるトマスは、イエス様が来られたとき、彼らと一緒にいませんでした。そのため、トマスはイエス様の復活を信じることができませんでした。しかし八日の後、弟子たちが再び集まっていたところへ、復活のイエス様は再び来てくださいました。
トマスはイエス様の復活を信じました。イエス様の体を目で見たから信じたように思われるかもしれませんが、イエス様は「見ないのに信じる人は、幸いである」と仰せになりました。トマスは今度は、他の弟子たちと一緒にいたから信じることができたのです。

私たちの場合も、信じる人たちが集っている礼拝共同体の中において、復活のイエス様と出会い、イエス様の復活を信じるようにされます。
復活されたイエス様のお体は天に上げられましたが(使徒言行録1:6-11参照)、地上にいる私たちは聖霊の働きによって、復活のイエス様とお会いし、信じることができるのです。
聖霊が私たち一人一人の上に豊かに降ることを切に願い求め、復活を信じる信仰が強められるよう祈りましょう。

2018年3月 神の不変の愛

「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 (ヨハネによる福音書2章19節)

牧師 黒田浩史

イエス様が神殿を清められた場面です。神殿と言っても、エルサレムの神殿の建物ではなく、その境内での話です。
礼拝しに来た人たちが献げるための羊や鳩などの動物を追い出し、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と仰せになりました(16節)。

これを見た人々は憤り、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言いました(18節)。
するとイエス様は、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と仰せになりました(19節)。エルサレムの神殿は、この40年程後に実際にローマによって壊されてしまいました。イエス様は、そのことを前もって仰せになったのです。

それと同時に、イエス様の言われる神殿とは、御自分の体のことでした。この後、十字架に掛けられて殺され、三日目に復活することを仰せになっていたのです。

聖書では、他にも神殿について言われている箇所があります。みだらな行いをする人たちに対し、それを止めるように勧めている箇所で、「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である」と言われています(一コリント6:19)。
イエス様の体が神殿であると言われていたように、私たちの体も同じように神殿とされています。
神殿は、神様が宿る場所ないし建物と考えられていました。同じように、神殿とされた私たちの体には、神様が宿ってくださるのです。
イエス様も、「父(なる神)とわたしとはその人(イエス様を愛する人)のところに行き、一緒に住む」と言われていました(ヨハネ14:23)。これは聖霊の働きです。

しかし、イエス様を信じた人は、瞬時にしてその体が神殿になるのではありません。地上における苦しいことや辛いことを経て、少しずつ復活の命にあずかり、時間を掛けて神殿とされていくのです。
それは同時に、イエス様の復活の命を、今地上で生きながら、少しずつ生き始めていることでもあります。

十字架は、体が壊されるだけではありません。イエス様の十字架は、精神的な苦痛も激しかったと言われています。私たちも他者のために生きようとすると、辛いことがあります。そんなときは、私たちの心が壊されて、イエス様の十字架の姿に近づいているのです。
これまでの悩みや苦労の一つ一つを思い起こして、イエス様の十字架の姿と一体にされていることを思い、少しでも聖霊の宿ってくださる神殿に近づいていきたいものです。

2018年度定期総会

2018年度定期総会は、1月28日(日)11時50分から礼拝堂にて現住陪餐会員である正議員37名中20名が出席して、開催されました。
主な議事は、前年度報告として小会、各委員会、宗教法人、諸団体、大・中会、一般会計決算、特別会計、会計監査の各報告を受け、議場の承認を受けました。主日礼拝平均出席者数は39名(前年比-1)、一般会計予算収入達成率は99.16%でしたが特別基金からの繰入金を差し引くと-704,135円でした。厳しい財政事情を踏まえ、2018年度予算は支出内容の精査、ペンテコステ献金の新設等が提案され、承認されました。
長老・執事選挙は、長老に新たに3名、執事に新たに4名を選出し、6名ずつの定員が満たされました。その他、今年度方針として、本年度教会標語、年間礼拝・集会予定、一般会計予算の各議題を議場は原案どおり受け入れました。
今年の目標は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」で、読んですぐに理解できて心に響く聖句から選ばれました。どんな時でも、イエス様の十字架と復活の恵みに心を向け、喜びに満たされ、祈りつつ、感謝のうちに日々を過ごす一年としましょう。
様々な協議を経た後、岩越美恵長老の閉会祈祷を持って13時57分に会を閉じました。

2018年2月「心身の癒し」

イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
(マルコによる福音書1章31節)

牧師 黒田浩史

イエス様の宣教活動の最初の方の場面です。
4人の漁師たちが、イエス様と出会って弟子になりました。そのうちの一人、ペトロの家での出来事です。
ペトロのしゅうとめが、熱を出して寝ていました。そこへイエス様がやって来られ、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなしました。

ここでの病気は、人間の外からやって来てその人を苦しめる存在として登場しています。しかしイエス様は、そうした悪の力を追い出し、人間本来の姿を回復してくださいました。
その姿は、一同をもてなした姿、すなわち人に仕える姿です。「もてなす」と訳されている語の原語は、「食事の席で給仕する」という意味の語です。イエス様ご自身も、弟子たちの足を洗いましたが、これは元来は召使や奴隷のする仕事でした(ヨハネ13:1-11参照)。
「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来たのである」とも仰せになっていました(マルコ10:45参照)。

これは、愛の業でもあります。見返りを求めない愛であり、見返りを与えてくれない人に対する愛の業です。それは、一方向的な愛です。
私たちは、互いに心を通い合わせることのできる愛を求めがちですが、それは見返りのある愛でもあります。しかし、イエス様の愛は、見返りがあっても無くても行う愛でした。

最初にイエス様の弟子になった4人は、仕事道具や父親をその場に残して、イエス様に従いました(マルコ1:16-20)。物を捨てるだけでなく、執着を捨ててイエス様に従ったのです。
見返りを求める気持ちも、一つの執着です。「この人に好かれたい」というような思いです。
しかし、見返りを与えてくれない人への愛は、「この人から大事に思われても別に嬉しいとは思わない」という人を大事にしたり、思いやる愛です。

別の箇所でイエス様は、「宴会を催すときには、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」と仰せになりました。この人たちは、お返しができない人たちだからだというのです。お返し、すなわち見返りを与えてくれない人に対する愛の業を勧められたのです(ルカ14:12-14)。
イエス様を信じ、イエス様に従う私たちも、人に対する執着を捨てて、見返りを求めない愛を実践していきましょう。

2017年度クリスマス祝会

12月24日(日)、主のご降誕を祝うクリスマス礼拝の後、出席者全員で写真撮影。その後、会場を整え慣例のクリスマス祝会を開きました。K長老の司会、N執事の奏楽により、讃美歌106番を讃美、聖書朗読(ルカによる福音書2章1-7節)、黒田浩史牧師の祈祷で、会は始められました。

婦人会、交わり委員会により準備されたサンドイッチ、手作りのケーキ等で会食に入り、今年はいつものケーキの他に、「住吉教会の礼拝出席は4度目」と言われるI氏が持って来られたパネトーネ(イタリア菓子)もあり、おいしく頂きました。

最初にH長老より、牧師夫人K姉、奏楽者に、感謝の言葉とプレゼントが贈呈されました。日頃のご奉仕を心から感謝いたします。次に“クリスマスの思いで”として、N姉、M三兄により、住吉教会が最初に建堂された古い会堂が、スライドで写しだされる中、まだ幼少であられたお二人が過ごされた日曜学校、クリスマスキャロルなどの想い出、百年の歴史を持つ住吉教会の様子をお話し頂きました。戦中、戦後の激動の時代を越えて、神さまのお護りのうちに、今日の住吉教会があることに感謝するひとときでした。

催物に移り、青年会のハンドベル演奏「きよしこの夜」「神のみ子は」の名演奏があり、ベルの音が会堂に響きました。クリスマスには、いつも楽しませてくださるN姉のハーモニカ演奏、「月の砂漠」「浜千鳥」、又、K姉によるフルート演奏、ビゼー作曲アルルの女より「メヌエット」ご自分のアレンジを加えた「ふるさと」の演奏があり、お二人共すばらしい演奏で祝会を盛り上げてくださいました。

婦人会は昨年同様、会員手作りのオリジナル作「ぶどう園の労働者」をペ-プサートで披露しました。関西弁を交えたセリフや、ぶっつけ本番であたふたする場面もあり、笑いのおこる楽しい、イエス様のたとえ話の寸劇になりました。

何度か練習を重ねた聖歌隊による讃美歌「もろびとこぞりて」「あめにはさかえ」「きよしこのよる」の合唱で、クリスマスの喜びに満たされるなか、N長老の閉会祈祷で会を閉じました。一年間、主の恵みのうちに歩むことが出来ましたこと感謝です。  (出席者33名)

日曜学校クリスマス会

今年も12月23日に日曜学校のクリスマス会を開催しました。穏やかな冬日和、子ども10名、大人15名の出席でした。中には初めて来られたお子さんもいました。

始めに全員で礼拝を守り、献金も献げました。その後、クリスマスお楽しみ会となり、まずK先生とN先生による「絵本」の読み聞かせがありました。「クリスマスのてんし」と「へいしのなみだ」です十人の天使がそれぞれ困った人を助けるお話とヘロデ大王の虐殺からイエス様を救った兵士の物語です。幼児も含め子どもたちが見入っていました。

続いて、製作活動です。まず新聞紙を使っての「ペーパーハット」づくりです。子どもたちの頭に合うような帽子が出来上がりました。これはその日のレジュメやカード、制作物の入れ物にもなりました。次の製作物は「サンタロボット」です。太さの違う2本のストローを準備し、太いストローから細いストローが飛び出すロケットです。細いストローの先にはサンタを貼り付けます。幼児でも飛ばすことができるので、どの子も喜んで活動しました。引き続き、日曜学校クリスマス会恒例の「サンタビンゴ」です。予め用意されている景品(すべて100均)をビンゴとなった子どもから受け取ることができます。あちらこちらから「リーチ」「ビンゴ」の声が上がり、一気に盛り上がりました。

ここで、休憩を兼ね、おやつの時間となり、婦人会手作りのケーキやお菓子をいただきました。昨年は、レギュラーの子どもたちによる出し物がいくつもありましたが、この日はレギュラーの子どもの欠席もあり、一人だけマジックを披露してくれました。そうこうしているうちに、会場にサンタクロースが登場しました。小さい子どもはびっくりしていましたが、プレゼントを手渡されると、ご機嫌も直りました。

最後に礼拝堂のクリスマスツリーの前でサンタさんも一緒に記念写真を撮りました。黒田牧師先生のお祈りですべての日程が終了しましたが、お天気も良かったので、その後もしばらく子どもたちはお庭で走り回って遊んでいました。

こうして一年の締めくくりを多くの子どもたちや保護者の方々と楽しむことができた幸いを心から感謝いたします。