7月「同じように分け合う」

鈴 木 攻 平

「誰がこのことについてあなたたちに同意するだろうか。荷物のそばにとどまっていた者の取り分は、戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ。」サムエル記上30:24

 

ダビデが、嫉妬深いサウル王に追われていた時代の出来事である。一時、イスラエルを離れて、敵であったペリシテにわずかの兵士たちとともに逃れていた。ところが、その間にアマレク人によって妻や子どもたちは連れ去られ、町は焼き払われていた。ダビデは落胆するが、神に力を与えられ、妻子を取り戻すためにアマレク人に戦いを挑んだ。総勢600人の兵士とともにベソル川まで来たとき、兵士200人が疲れて川を渡ることができなかった。やむを得ず400人で戦ったが、神はお約束通り勝利を賜った。妻子を取り戻すことができただけでない。戦利品まで手に入れた。

ところが、戦った400人の兵士は、実際に戦わなかった200人に戦利品を分けるべきではないと言い出した。そのとき、ダビデは「兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはならない。我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ」と言い、冒頭の言葉を続けたのである。400人の]兵士たちが「戦利品」と言っているのに対して、ダビデは「主が与えてくださったもの」と言い換え、だから200人にも同じよう分け与えなければならないと言った。

ここに、神の民である教会の大切な一面が言い表されている。教会には、毎週礼拝に欠かさず出席できる人があるかと思うとまったく出られない人もある。奉仕に積極的たずさわっている人がいるかと思えば未信者の家族の中で出席もままならない人もある。しかし、そのような人も含めて一つの群れである。そして、何よりも、同じ恵みに与っていることを覚えなければならない。(コリント一12:12-14、20-26)教会の一致はここにある。

さらに重要なことは、神の恵みはわたしたち信仰者に逆説(パラドックス)を引き起こすということである。わたしたち人間の働きなのに、必ずそれを事実上否定するかのように全面的に神の働きと言いそえなければ事実を語っていないことになるからである。使徒パウロの次の言葉は、教会の信仰であり、わたしたち信仰者の言葉である。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」(コリント一15:10)