2015年11月「我、ここに立つ」

「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、

 信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

(ローマの信徒への手紙1:12-17)

教師 槌 本  和 子

10月31日は宗教改革者マルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルグの城教会の扉に95ケ条の抗議文を貼りだしたことから始まった記念日に当たります。プロテスタントの教会では、この日を宗教改革記念日として守ってきました。「人は行いによって救われるのではない。主イエス・キリストを信じる信仰によってのみ、救われる」ことを強調したことから、宗教改革運動が始まりました。私どもは、この信仰によって生かされていることを今一度確認し、信仰を新たにして礼拝を守り、伝道に励み、教会形成を目指していきたく、祈るものです。

ローマの信徒への手紙1章16~17節は、この手紙の主題が語られています。パウロが未知の教会に手紙を送った理由は、ローマ帝国の首都に福音を伝え、更にそこを基地として、イスパニアにまで行く願いをもっていたことによるものです。そのために彼はまず、ローマ教会に自分の宣べ伝える福音の内容を知らせ、それによって自分を紹介する必要を感じたのでした。

パウロはローマに行き、福音を宣べ伝える強い願いをもっていることを明らかにし(15節)、  「わたしは福音を恥としない」と語り、その福音とは何かを明らかにしています。それは当時、この世の人々にはいやしいものに見えた福音、又それを恥としていた人々がいたことを示しています。パウロの語る福音の内容は「十字架につけられたイエス・キリスト」であり、「ユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなもの」であったとしても、「福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力」であることをパウロは確信して語りました。

神は福音の中に救いを得させるご自身の力を顕し、救いの業をなし給うのです。この力はダイナマイトのように、爆発的な力をもっています。罪の奴隷となっている人間の心を打ち砕き、罪から解放してくださる神の力であります。福音がこのような力をもっている理由は、「神の義」がその中に啓示されているからなのです。福音の中に啓示されている義はローマの信徒への手紙3章21~22節に示されているように、

神の前に正しくない罪人を救う、神の恵みの業であります。それは義でないものを義と認め、神と人との間に新しい関係を打ち立てていく神の一方的な恵みの働きかけであります。

この神の恵みに対応するのが「信仰」です。「信仰に始まり、信仰に至らせる」とは、不完全な信仰から完全な信仰へと前進すると言うのではなく、ただ信仰によってEQ \* jc2 \* “Font:HGSゴシックM” \* hps10 \o\ad(\s\up 9(・・),のみ)ということを表現しています。福音の中に啓示されている神の義は、イエス・キリストを信じる信仰によってEQ \* jc2 \* “Font:HGSゴシックM” \* hps10 \o\ad(\s\up 9(・・),のみ)与えられるものなのです。信仰によらなければ、この義に与ることはできません。パウロはこの真理を、旧約の予言者ハバククからの引用(2:4)によって確証しています。ハバククは、悪人が栄え、義人が苦しめられる世の中が続き、人々が神の義と支配に疑問をもった時代に、義人はひたすら神の義に信頼し待望して生きるべきことを教えています。このみ言葉が、イエス・キリストによって成就され、新しい内容と力を与えたのです。

信仰によって義とされる人は、イエス・キリストにある生命に与って生きる者とされています。私達は今も、これからも、イエス・キリストの中に啓示されている神の義を信じて、力強い信仰の道を歩み続ける者となることを祈ります。