2015年12月「すべての人は神の判決の前に立つ」

「そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

(ルカによる福音書10:25-39)

教師 池 永 倫 明

本日は「善いサマリア人のたとえ」の中の「宿屋の主人」に焦点を当てたく思います。善いサマリア人が傷ついた人を宿屋に運んで世話をして下さいと宿屋の主人に依頼します。

宿屋には、人の世話をする施設があり、人手もあります。ですから宿屋の主人はサマリア人から若干の経済的支援を受け、後でこの善いサマリア人が旅から帰ったとき、清算するという約束を受けて、この傷ついた人の面倒を見るのです。

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私共は、この宿屋を現代日本の社会福祉事業に当てはめ、旅から帰ってくる善いサマリア人を人類の救い主、善い羊飼いであられる再臨の主であると考えて、この聖書を読むのです。聖書は「神を愛し、人を愛しなさい」とすべての人に命じ、終わりの日に「あなたはわたしが飢えていたとき食べさせ、渇いているとき飲ませ、病人でいるとき見舞い、投獄されているとき励ましてくれた」かどうか、すべての人類を判定し、判決を下すと約束します。神はご自身が創造した人間が尊ばれ、自由と秩序をもって神を信頼して生きるよう、求めておられます。しかし神は直接社会福祉事業をなさらず、人間の手にそれを委託し、終わりの日に判決を下されるのです。

現代日本では社会福祉事業は、地方自治体、政府行政が中心になって、全国にネットワークを拡げ、税金と人材を投入して神の委託に取り組んでいます。勿論、神の委託なのだという意識はありませんが、そういう働きをしているのです。つまり、宿屋の主人の働きをしているわけです。

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私共日本キリスト教会が連なっている改革派教会(長老教会)は、スイスのジュネーヴ市で始まったカルヴァンなどの宗教改革者たちが、16世紀より改革派教会を形成しましたが、改革派教会は国家の課題は平和の維持と社会福祉に取り組むことであり、教会は福音宣教の務めと国家が本当に自らの委託に応えているか見張る務めとを与えられていると信じました。善き羊飼いでありたもう、十字架の主は復活して神の右に座し、御言葉と聖霊を通して、人の目には見えないけれども、あるがままの人間を愛し、自由と秩序をもって生きるよう、祈って下さり、終わりの日に再臨して全人類を判定し、判決される全能の主であられます。