2016年6月「慈しみに生きる」

 「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」

                   (ルカによる福音書7章13節)

                          牧師 黒 田 浩 史

やもめの独り息子を生き返らせる話です。やもめは、夫を亡くし、それゆえ生活の手段を失った女性のことで、聖書では孤児や寄留者と並んで、最も立場の弱い人たちとされていました。

イエス様がナインという街を通りかかると、やもめの独り息子の棺が運び出されるところでした。墓地は街の城壁の外にあります。「棺」と書いてありますが、貧しいやもめですから、担架のようなものに遺体を載せていたとも思われます。

イエス様は、泣いている母親を見て、憐れに思い、近づいて棺に手を触れ、亡くなった息子さんを生き返らせる奇跡を行われました。

ここにはイエス様の三つの動作が記されています。

①まずは「見る」ということです。ご主人らしい人もいないので、すぐにやもめだと分かったことでしょう。他に息子らしい人もいないので、独り息子であることも分かりました。粗末な身なりなどからも、貧しいやもめであることは明らかです。イエス様の愛の業は、まず相手の困難な状態をよく見て状況を理解することから始まります。

②次に「憐れに思い」です。原語では「内臓」から来た語が使われていて、「内臓が引き裂かれる思いがする」というような意味の激しい言葉です。旧約からの繋がりで「子宮」から来ている語だと言う人もいて、十字架に立ち会ったイエス様のお母様の身を裂かれる気持ちを思わせます。自分のことのように痛みを感じられたということです。

③そして「近づいて」奇跡を行われました。「見て状況を理解し、自分のこととして痛みを共に感じる」、そして「行動に移す」という三つの動作です。

これはイエス様から恵みを受け、憐れみを注いでいただいた私たちが、困っている人、苦しんでいる人たちに対して、同じように行うようにと示してくださった模範なのです。愛のための三つの動作です。

キリシタン時代には、「愛」を意味するラテン語の「カリタス」を、「ご大切」と訳したそうです。当時の日本語で「愛」と言えば、もっぱら男女の愛を意味したからです。

聖書では「愛」の他、「憐れみ」(ミゼリコルディア)という語もあり、「慈しみ」とも訳しますが、相手を大切にする、まさにこのことに尽きると思います。イエス様がなさったように、相手をよく見て何が必要かを理解し、自分のことのように痛みを感じ、行動に移すということです。

愛の業には、物をあげたりする身体的な業の他に、精神的な業もあります。希望を失っている人に対して希望を与える、落ち込んでいる人に優しい声を掛けて励ますなど、私たちにできることはいくらでもあります。イエス様が愛(憐れみ)を示してくださったように、私たちも身近なところで愛の業(憐れみの業)を行いましょう。