2016年7月「弟子の派遣」

 「その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」

 (ルカによる福音書10章9節)

                          牧師 黒 田 浩 史

 72人の弟子を派遣する場面です。先に選ばれた12人のようないわゆるエリートではなく、ごく普通の弟子に過ぎない現代の私たちの姿でもあります。主イエ ス様は、十字架と復活の後で天に上げられ、ご自身が独りで宣教するのではなく、弟子とされた私たちがイエス様の手足となって働くように、それぞれの場所へ 派遣してくださっているのです。

派遣された弟子がすべきことは、行いと言葉で福音を伝えることです(9節)。これまでイエス様の宣教活動に 同行し、そばで見て体験して学んできたイエス様のやり方を、今度は自分たちでやってみるのです。信仰には知識も大事ですが、体験から学ぶものは大きいで す。そのために「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威」を授けられています(19節)。

この神様からの「権威」と対照的なのが、物を殆んど持たないで出かける弟子の姿です。「財布も袋も履物も持って行かない」のは(4節)、人間的な力が弱いときにこそ、神様の力が働くからです。

もちろん、人を助ける働きをしようと思えば、例えば医師の資格が必要だとか、人間的なものもいろいろ必要ですが、そうであっても、その背後に神様の力がなくては何一つ成功しないのです。

「その家に泊まって、出されるものを食べる」のも(7節)、ただただ神様からの恵みや力に頼って生きる姿です。

「途中で挨拶しない」のも(4節)、遣わされている対象を明確に意識し、その人たちへ「平和を祈る」ことに集中するためです(5節)。常に神様からの祝福や恵みを願いつつ人々に接するということでしょう。

そんな弟子の働きは、迎え入れられないことがあることも覚悟しなくてはなりません(10-11節)。そのときには、他の町へ行くようにとイエス様は勧められます。

物事がうまく行かないとき、思い切って環境を変えたほうが、与えられた務めをより良く果たすことができることもあります。しかし、仕事を変えるとか、引っ越しをするとか、大きな変化を起こすときには、よくよく神様の御旨を見極める必要があります。

目 に見える地上の成果にばかり心を奪われてはなりません。神様からの力を授かって、神様から遣わされた者として働くとき、成果が上がることもありますが、そ うでないこともあるからです。イエス様に倣う人は、いつも拍手喝采ということはなく、イエス様のように人々から拒絶されることもあります。

しかし、私たちの「名が天に記されていることを喜びなさい」とイエス様は仰せになります(20節)。地上における成果の有無にかかわりなく、私たちの努力は神様に受け入れられているからです。

それぞれ遣わされた場所でイエス様の手足として、できることを精一杯行っていきましょう。