2016年12月「原点に立ち返る」

 「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」

(マタイによる福音書3章11節)

牧師 黒 田 浩 史

洗礼者ヨハネは、人々が主イエス様を受け入れるための準備をした人物でした。

主イエス様が宣教活動を始められる直前に人々の前に姿を現し、悔い改めを呼び掛けました。すると、国中から人々がぞくぞくとやって来て、その教えに耳を傾け、彼から洗礼を受けたのです。

ヨハネはそれほど大勢の人を惹きつける魅力を持っていたのでした。

まず、その姿恰好は、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締めるという、旧約時代の預言者エリヤを思わせる姿でした。エリヤは、この地方の人々にとって歴史的英雄のような人物でした。

また、人が住めない荒れ野で、「いなごと野蜜を食べ物とする」という質素な生き方は、旧約時代、イスラエルの民がエジプトを逃れた後、荒れ野で過ごした40年間の生活を思い起こさせました(出エジプト記参照)。これは、イスラエルの人々にとり信仰の原点でもありました。

ヨハネが行っていた洗礼の儀式も、人々にとって魅力的でした。現代の教会で行っている洗礼式と違い、本物の川の中に身を沈めて行いました。ユダヤ教にも水で身を清める儀式はありましたが、ヨハネはこれを改変して独自の儀式を編み出したのです。泥水に浸り、ずぶ濡れになって行うこの洗礼は、人々の身も心も清めてくれました。

人々はここに、神様との本当の交わりを見出しました。当時の律法学者たちが教えるような、規則の字面を守るだけの教えではなく、今ここで、この私に語り掛ける神様の御言葉を聴く思いがしたのでしょう。

旧約時代の預言者たちは皆、その時代の社会状況の中で具体的に勧めを語り、時には国の指導者たちを厳しく戒めることもありました。預言者が現れなくなって久しいこの時代、人々はヨハネのことを昔の預言者エリヤの再来だと思ったのです。

しかし、ヨハネはあくまでも、人々がイエス様を受け入れるための準備をした人物であり、その意味では旧約の人でした。

というのも、ヨハネの「悔い改めよ。天の国は近づいた」という教えは、言葉はイエス様の教えと全く同じですが(マタイ4:17)、その意味は全然違っていたからです。

ヨハネの呼び掛けた悔い改めは、神の怒りから免れるためであり、裁かれて滅ぼされないために、行いを正す必要があると説きました。「天の国」もヨハネにとっては、終末の最後の審判という恐ろしいものでした。

これに対してイエス様の教えは、神様の赦しと恵みが実現するのが「天の国」であり、これがすでに実現しつつあるので、心を神様の方へ向けて、恵みにあずかる備えをしなさい、というものだったのです。「悔い改め」は、聖書の言葉では「向きを変える」という意味があります。

また、ヨハネはイエス様は「聖霊と火で洗礼をお授けになる」と予告しましたが、行いの悪い人は火で焼かれて滅ぼされるという警告の言葉でした。

これに対して主イエス様の約束された聖霊は、神の力とも呼ばれ、弱い弟子たちは主の復活の後、罪を赦され、聖霊の力を受けて、力強く主の復活を証していきました。「火」は、信仰の熱意を燃え上がらせるという意味もあります。

ヨハネはこのように、確かに旧約の時代の人でしたが、当時の人々はその姿の中に信仰の原点を見出し、ぞくぞくと集まって来て彼から洗礼を受け、イエス様を受け入れる準備をしたのでした。

主のご降誕のお祝いの準備をしている私たちも、ヨハネから洗礼を受けた人々のように、信仰の原点に立ち返り、イエス様を心から受け入れて、クリスマスの喜びにあずかりたいものです。