2017年1月「最高の献げ物」

「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 」 

     (マタイによる福音書2章11節)

牧師 黒 田 浩 史

イエス様がお生まれになった時、東の方から占星術の学者たちが訪れ、高価な贈り物をささげました。
黄金、乳香、没薬という贈り物だったため、3人の学者の到来と言われることもありますが、聖書には人数は書いてありません。従者たちも連れて、大人数でやって来たのではないかとも言われています。

この学者たちは不思議な人たちで、「東の方」とはペルシアを指し、現在のイランの辺りであると言われています。外国人なのにユダヤ人の王を拝みに来たのは、とても不思議な話です。
彼らを導いた星も、不思議な星です。現代の天文学の知識を駆使しても、これが何の星であったか、いまだに解明されていません。
星を見てやって来たのですから、夜歩いて昼間は休み、夜になると再び星を見て歩き始めたことでしょう。ペルシアの方から星を目印に、はるばるパレスチナ地方までやって来ました。

ところが、せっかくイエス様の近くまで来たのに、ヘロデ王のいるエルサレムに着いてしまいました。道に迷ってしまったのです。
彼らは、どうして道に迷ったのでしょうか。
ある人は、近くまで来たので油断して、昼間歩いてしまったのではないか、と説明します。「ユダヤ人の王を拝みに来た」のですから、王様は宮殿にいると考えて、ヘロデ王のところへ来たというのです。
最後の最後のところで、星の導きに頼るのを止めて、いわば人間の常識に頼ってしまったのです。

これは、私たちの場合にも起こりうることです。昼間は活動の時、夜は休む時です。夜は、忙しい昼間には見る余裕のなかった心の世界を見つめる時です。人間の常識から一歩退いて、信仰の世界に触れる時でもあります。
夜はまた、私たちにとっての悩みや苦しみ、力の限界などを意味しています。人間の力が行き詰ったときに、はじめて見えてくるものがあるように、本当に大事なものは、闇の中でしか見えないのでしょう。

道に迷ってしまった学者たちは、誤りに気付いて再び星を見て歩き始め、ついに幼子イエス様のところへ辿り着きました。
このときイエス様は、ご両親とベツレヘムに滞在していました。ごく普通の赤ちゃんなのに、この方がユダヤ人の王であると分かったのも、彼らが信仰の目で見ていたからでしょう。

彼らを導いた不思議な星は、「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:5)、「異邦人を照らす啓示の光」(ルカ2:32)などと言われているように、イエス・キリストの光であったと言うことができます。
私たちの生きている現代世界は、闇のように争いや苦しみで満ちています。しかし、闇の中でこそ、真の救いであるキリストの光が見えてくるのです。
新しく迎えたこの一年も、キリストの光に照らされて、私たちの人生を最高の献げ物としてささげて歩みましょう。