2017年5月「良い羊飼い」

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

(ヨハネによる福音書10章10節)

                       牧師 黒 田 浩 史

イエス様のことが羊飼いに、信じる私たちのことが羊に譬えられています。

羊は弱い動物であり、自分では草や水を見つけることはできないので、羊飼いに連れて行ってもらう必要があるそうです。同じように、私たちも弱い人間なので、イエス様を見失わずに、その後について行かなくてはなりません。そうしなければ、強盗や狼に襲われてしまいます。

ここでの強盗や狼は、9章に登場するユダヤ教の指導者たちのことを意味しているとも言われています。9章では、目の見えない人が、イエス様によって見えるようにしていただきました。

しかし、この人はイエス様を信じるようになったため、ユダヤ教の指導者たちから会堂追放をされてしまいました。一種の破門です。彼らの問題点の一つは、力づくで従わせようとしたり、従わなければ会堂追放をすると脅したりする点でした。

しかし、イエス様のもとには、まことの自由がありました。弟子たちは強制されてではなく、信じること自体が喜びであったので、イエス様を信じ、その後に従って行きました。

イエス様を信じる人は、羊が羊飼いの声を知っているように、イエス様との深い交わりの中にあります。聖書の「知る」、「知っている」という言葉は、夫婦の交わりをも意味するような深い人格的な交わりを意味する言葉です。信じる私たちは、この方は掟を強制したり、私たちを支配したりされる方ではなく、この方のもとにはまことの平安や喜びがあることを、よく知っているのです。ですから、自発的にイエス様に従って行くのです。

羊飼いの役割は、強盗や狼から守るだけでなく、新鮮な草や水のあるところに連れて行くことです。「羊が豊かな命を受けるため」とあるように、信じる私たちが喜びや平安に満ちた生活を送れるようにするのが、イエス様の役割なのです。聖書の「命」には、死んでから天国で生きる「永遠の命」の意味もありますが、地上において本当に人間らしい生き方をするという意味もあります。

イエス様の声かどうかを聞き分ける一つの目安は、それが聖書で言われていることかどうかです。例えば、愛や赦し、へりくだりや節制などです。しかし、自分の欲を満たしたり、人を支配したりするのは、この世の価値観であり、羊が逃げ去るところの「ほかの者たちの声」です。

復活節のテーマは、復活のイエス様は信じる私たちといつも一緒におられるということです。これは聖霊の働きです。まことの羊飼いであるイエス様が、毎日の生活の中にも共にいてくださるよう、6月4日のペンテコステに向かって、祈り求めてまいりましょう。