2017年11月「悪いお手本」

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。 」

                                                                                                 (マタイによる福音書23章12節)

                       牧師 黒 田 浩 史

イエス様は、当時の宗教的指導者たちの偽善を指摘しました。偽善とは、日本語でも「偽の善」と書くように、偽物の善人、すなわち本当は善人ではないのに、そう見せかけている人のことです。

偽善者の特徴の一つは、他人を裁くことです。しかしイエス様は、悔い改める罪人には優しい方ですが、他人を裁く人に対しては厳しい方です。宗教的指導者だけでなく、普通の人でも、他人を裁いて偽善者になってしまう危険があります。

イエス様は「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」と仰せになりました(マタイ7:1)。また、姦通の現場で捕らえられた女性に対し、今にも石を投げて死刑にしようとしている人たちに向かい、「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とも仰せになりました(ヨハネ8:1-11参照)。

偽善者は、人々に見せている立派な自分と、現実の罪深い自分との間のギャップが大きい人です。しかしクリスチャンは、常に神様の前に立っていますから、このギャップは小さく、人格の一貫性を保つことができます。

イエス様は、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と仰せになりました(マタイ23:12)。「へりくだる」は、神様の前に自分を低くすることですが、そうして低くなった同じ自分のままで、人にも接するのです。神様の前と人の前とで、別の顔になる必要はありません。

「高められる」の「高める」は、イエス様の復活をも意味しています。へりくだった人は、イエス様の十字架によって罪を赦され、その復活によって天にまで高められるのです。その心は神様のような心に高められ、もはや他人を裁くこともなくなり、愛や慈しみに生きる人となります。

イエス様を信じて、心や人格の一貫性を与えられ、神様のような心、イエス様のような心で人に接することができるよう願いたいと思います。