2017年12月「目覚めて待つ」

「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」

(マルコによる福音書13章33節)

牧師 黒 田 浩 史

教会の暦の一年は、待降節から始まります。11月30日に最も近い主日(日曜日)からクリスマスイヴ(12月24日)までの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まります。待降節には、二重の性格があり、一つは御子イエス様のご降誕のお祝いであるクリスマスの準備の季節という性格です。もう一つは、イエス様の第二の到来である終末における再臨へと心を向ける季節という性格です。

イエス様の再臨へと心を向けるということで、イエス様は「目を覚ましていなさい」と仰せになりました(マルコ12:33)。肉体的にずっと眠らないという意味ではなく、地上の生涯において与えられた務めを忠実に果たしなさい、という意味です。

この御言葉は、イエス様が十字架に掛けられる直前、エルサレムの神殿の境内で教えておられたときに語られました。神殿の境内では、金持ちたちが有り余る中から献金していたのに対し、貧しいやもめが生活費全部を献金した姿をご覧になり、このやもめの信仰を褒めておられました(12:41-44)。一方、弟子たちは神殿の建物の大きさや豪華さに目を奪われ、「なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と感激していました。しかしイエス様は、神殿の破壊を予告し、神殿には貧しいやもめの信仰以外には見るべきものは何もないかのようにして、境内を立ち去られました(13:1-2)。そして、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と仰せになり(13:31)、物質的なものはどんなに立派であっても滅びることを教えられました。

その教えに続いて語られたのが、「目を覚ましていなさい」との御言葉です。主人が旅に出かけた僕たちの譬えを語られ、主人が留守の間でも、与えられた務めを忠実に果たすようにと仰せになりました(13:32-37)。主人が留守なので、主人が見ていないからといって、怠けたり悪いことを行ってもいいと考えるのは愚かなことだと仰せになります。譬えでは、主人は神様のことなのですが、人間の主人と同じように考えてしてしまい、見ていないところでは何をしてもいいと考えてしまったのです。しかし、人間からの評価も、天地と共にやがて滅びます。これに対し、神様からの評価はいつまでも残るものであり、これを求めて生きるべきなのです。

クリスマスを迎えようとするこの季節、生活費全部を献げた貧しいやもめのように、神様から評価していただける生き方を求めたいものです。