2018年3月 神の不変の愛

「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 (ヨハネによる福音書2章19節)

牧師 黒田浩史

イエス様が神殿を清められた場面です。神殿と言っても、エルサレムの神殿の建物ではなく、その境内での話です。
礼拝しに来た人たちが献げるための羊や鳩などの動物を追い出し、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と仰せになりました(16節)。

これを見た人々は憤り、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言いました(18節)。
するとイエス様は、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と仰せになりました(19節)。エルサレムの神殿は、この40年程後に実際にローマによって壊されてしまいました。イエス様は、そのことを前もって仰せになったのです。

それと同時に、イエス様の言われる神殿とは、御自分の体のことでした。この後、十字架に掛けられて殺され、三日目に復活することを仰せになっていたのです。

聖書では、他にも神殿について言われている箇所があります。みだらな行いをする人たちに対し、それを止めるように勧めている箇所で、「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である」と言われています(一コリント6:19)。
イエス様の体が神殿であると言われていたように、私たちの体も同じように神殿とされています。
神殿は、神様が宿る場所ないし建物と考えられていました。同じように、神殿とされた私たちの体には、神様が宿ってくださるのです。
イエス様も、「父(なる神)とわたしとはその人(イエス様を愛する人)のところに行き、一緒に住む」と言われていました(ヨハネ14:23)。これは聖霊の働きです。

しかし、イエス様を信じた人は、瞬時にしてその体が神殿になるのではありません。地上における苦しいことや辛いことを経て、少しずつ復活の命にあずかり、時間を掛けて神殿とされていくのです。
それは同時に、イエス様の復活の命を、今地上で生きながら、少しずつ生き始めていることでもあります。

十字架は、体が壊されるだけではありません。イエス様の十字架は、精神的な苦痛も激しかったと言われています。私たちも他者のために生きようとすると、辛いことがあります。そんなときは、私たちの心が壊されて、イエス様の十字架の姿に近づいているのです。
これまでの悩みや苦労の一つ一つを思い起こして、イエス様の十字架の姿と一体にされていることを思い、少しでも聖霊の宿ってくださる神殿に近づいていきたいものです。