投稿者「admin」のアーカイブ

2019年度定期総会

2019年度定期総会は、1月27日(日)11時40分から礼拝堂にて現住陪餐会員である正議員39名中23名が出席して、開会されました。
主な議事は、前年度報告として小会、各委員会、宗教法人、諸団体、大・中会、一般会計決算、特別会計、会計監査の各報告を受け、議場の承認を受けました。主日礼拝平均出席者数は35名(前年比-4)でしたが、一般会計予算収入達成率は108.12%で、維持献金のご協力が大きな力となりました。また、新たに設けたペンテコステ献金へも積極的に献金いただき、去年度とは逆に特別基金への繰入をすることができました。
長老・執事選挙については、長老2名、執事3名が選出されました。長老は1名欠員となりましたが、次年度には新しい長老が選出されるよう祈りたいです。その他、今年度方針として、本年度教会標語、年間礼拝・集会予定、一般会計予算の各議題を議場は原案どおり受け入れました。
今年の目標は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」で、読んですぐに理解できて心に響く聖句から選ばれました。毎日の生活の中でも絶えず聖書の御言葉を思い起こし、わたしたちを救いへと招いてくださっているイエス様のもとへ行き、真の安らぎのうちに歩む一年といたしましょう。
様々な協議を経た後、黒田牧師が教会を代表して2年間長老として奉仕されたI長老への謝辞を述べ、閉会祈祷をもって14時03分に会を閉じました。

2019年2月 恵み深い教え

「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した。」(ルカによる福音書4章21節)
牧師 黒田浩史

イエス様の宣教活動の最初の場面です。イエス様はお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読されました。旧約のイザヤ書の巻物が渡され、イザヤ書61章の御言葉を朗読されました。そこには、「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれた」と書いてありました(16-19節)。
朗読が終わると、イエス様は「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話されました(21節)。当時は、裕福な人が神様の祝福を豊かに受けていると考えられていたため、人々はイエス様のこの教えに驚きました。

しかし、人々は「この人はヨセフの子ではないか」と言って、イエス様を受け入れようとしませんでした(22節)。同じ町の出身で、子供の頃からよく知っている人なので、そういう人が立派な教えを語ることを受け入れることができなかったのです。
すると、イエス様は彼らに対して「あなたがたは『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うに違いない」と仰せになりました(23節)。カファルナウムは近くの町ですが、他の町でイエス様が奇跡の御業を行われたのに、自分たちの町ではしてくれないことを、おもしろく思わなかったのです。イエス様の恵みを自分たちだけで独占したいと願ったのでしょう。
そして、旧約時代の預言者たちも、郷里ではなく他の町へ遣わされて奇跡を行ったと仰せになり、有名なエリヤとエリシャの二人の預言者の例を挙げられました(25-27節)。

これを聞いた人々は皆憤慨し、イエス様を殺そうとしましたが、イエス様は彼らの間を通り抜けて立ち去られました(28-30節)。
ナザレの人々は、イエス様の恵みを独占しようとして、結局は恵みを受け取ることができませんでした。私たちは素直な心でイエス様を受け入れ、その恵みを受け取りたいものです。

日曜学校クリスマス会

今年の日曜学校クリスマス会の参加者数は、生徒(男8、女14、計22)大人(男6、女16、計22)でした。ここ数年で一番多くの参加者が与えられ、感謝の会となりました。集会室に44名が入り、今年生まれた赤ちゃんから小学校4年生まで、多く子どもたちが楽しみました。
礼拝を守った後は、絵本の読み聞かせや生年月日あてゲーム、そして日曜学校名物のサンタビンゴで遊びました。お若いお父さんやお母さん方の参加も多く、伝道のいい機会になったと喜んでいます。おやつを食べ終えたころを見計らって、今年もサンタクロースがやってきました。N長老にはご無理をお願いし、サンタクロース役をしていただきました。小さい子どもたちは真剣に「あのサンタのおじいさんはどこから来たのだろうね」と話していました。余程心に残ったのでしょう。子どもたちの夢にお応えいただき、唯々感謝です。最後はサンタのおじいさんと一緒に全員で記念撮影をし、黒田牧師先生のお祈りで閉会となりました。

クリスマス祝会の報告

クリスマス礼拝に続いて、集合写真を撮り、H長老の司会、N姉の奏楽によりクリスマスの祝会を持ちました。
今日の祝会を予感させるような、美しいディスカントと共に、讃美歌106番「あらののはてに~」を讃美し、引き続き、司会者によりルカによる福音書2章1~7節が朗読され、祈祷をして頂き、和やかな雰囲気の中で祝会が始まりました。
転入者の紹介では、今年2年ぶりに秋田教会から戻られたS姉が紹介され、「皆さんからお帰りなさい、と迎えて頂いたことが、とても嬉しかった。」と話され、他にも今年は2名の姉妹が加えられる等、嬉しい報告となりました。
手作りのクリスマスケーキやサンドイッチの昼食を皆で頂き、歓談の中、何時もお世話になっています、牧師夫人、奏楽者の方々にH長老からクリスマスプレゼントが渡されました。
「クリスマスの思い出」では、S姉が「伝道者と結婚し、初めての赴任先の教会での、クリスマス祝会デビューの時、母子共に、不安の中、3歳の長女を、日曜学校の若い先生が抱きしめてくれた事に、感激したことを、思い出す。また高校生の時、受洗の前に試問会で『神様を信じます』と言ったが、実際の受洗日まで心変わりしないか、不安で毎日祈っていた。受洗時、先輩の方から手作りの聖書、讃美歌を入れる、ケースを頂き、そこにフィリピの信徒への手紙3章12節の『わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようとしているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです』とあり、その私が、今ここに生かされているのは、全て神様の御業と確信しています。」と話されました。
その後は、青年会のハンドベル演奏、フルートと縦笛の演奏、そして、E姉が沢山の歌を歌って下さいました。婦人会は、壮年会の方々の応援を頂き二編讃美歌を歌われました。色んな種類のハーモニカを使っての演奏。ピアノ伴奏による歌などがありました。
楽しい時間はたちまち過ぎ、最後に聖歌隊と一緒に讃美歌112番「もろびとこぞりて」を讃美、閉会祈祷で会を閉じました。

2019年1月 最高の献げ物

「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイによる福音書2章11節)
牧師 黒田浩史

イエス様がお生まれになったとき、占星術の学者たちが東の方からやって来ました。この人たちは、ペルシアの宗教の祭司のような人たちだったと言われています。このことは、旧約時代から預言されていて、「らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる」と言われています(イザヤ60:6)。
旧約の預言の通りに、東の方からやって来た学者たちは、イエス様に高価な贈り物を献げました。

学者たちは、星に導かれて東方からユダヤへやって来ましたが、ついに幼子イエス様のおられたベツレヘムという町まで来ました(2、9節)。
彼らはイエス様のおられた家に入り、ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました(11節)。いずれも少量で高価な品物であり、遠くから持ち運んで来るのに適したものでした。

彼らは外国人でしたので、旧約で規定されているように犠牲の動物を献げてイエス様を拝んだわけではありませんでした。しかし幼子イエス様は、真心のこもった彼らの贈り物を喜んで受け取られたことでしょう。
彼らが献げた贈り物は、イエス様とご両親にとって大変役に立つものでした。この後、ヘロデ王はベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺させましたが、イエス様とご両親は虐殺を逃れるためにエジプトへ行かれました(13-18節参照)。学者たちが献げた高価な贈り物は、その際の旅費や滞在費に充てられたと言われています。

学者たちは彼らなりの仕方で真心を込めてイエス様を拝み、イエス様の役に立つ贈り物を献げました。
同じように私たちもこの年、真心を込めてイエス様を拝み、人の役に立つような愛の業を行いたいものです。

兵庫地区長老執事委員研修会報告

2018年11月25日(日)14:30~16:30に、住吉教会の礼拝堂で、兵庫地区長老・執事・委員研修会が開催されました。出席者は、70名(内教職者7名)で、当教会からは、黒田浩史牧師他、長老・執事11名が出席しました。
テーマは「兵庫地区における伝道協力」で、4名の牧師先生による発題がありました。
西宮中央教会の藤田浩喜牧師は、兵庫地区の教職者の現状とともに11月5~6日に実施された中会伝道協議会の報告をもとに近畿中会における課題についてお話されました。無牧の多くの教会が次の牧師を迎えるのがどんどん厳しくなっている、主日礼拝を日曜日の午前中に持つというのが当たり前と考えない発想も大切だ、隣の教会の無牧を他人事と考えないで、労苦や悩みを分かち合うことが必要だ、各個教会主義を克服し,地域の教会全体における「教会」の模索、地域や地区を俯瞰した教職の配置と伝道協力の検討、ITの活用による礼拝順守等、現状における課題や方式についてお話くださいました。そして、新しい試みを恐れず、初代教会における姿を今に生かし、信徒が主体となる群れであるようにと励ましてくださいました。
神戸湊西教会の田部朋彦牧師は、すでに15年間無牧であった姫路伝道所に今年5月より指導教師として遣わされ、第2と第3は午後3時よりの礼拝で田部先生は第2の礼拝説教を行い小会議長も務めているとのこと、第1と第5主日は田中豁先生の説教集のテープを聞いたり原稿の代読をしたりして第3と第4は引退教師による説教であるとのこと。すでに、ITを使わざるを得ない状況にあり教会と伝道所が協力し合って乗り越えていきたいとの発題でした。
夙川教会の石束岳士牧師は、布引教会の指導教師で、礼拝は引退教師の応援に頼っていること、小会の指導は平日に行っていること、幸い教勢の変化はなく、牧会は長老が自分たちで動いて教会員を配慮しているとのことでした。台風などのため教職が来ることができなかったこともあったが、その際には長老が講壇を守ったとのこと、無牧の中で、自分たちで礼拝を守るという長老の意識変革がなされたことは素晴らしいとの報告でした。
住吉教会の黒田浩史牧師は、宝塚売布教会の指導教師として、月に一度祈祷会と小会の指導に行かれているとのことです。本年4月より鈴木攻平先生が秋田教会からお戻りになられたので、礼拝説教とともに午後の集会の指導や夏季派遣された神学生の指導もお願いしたとのことでした。鈴木先生とは連絡を密にとって、小会議長の務めを果たすようにしているとのことでした。
10分間の休憩後の後半は全体協議会でした。会場から出されたご意見としては、教職者の不足は神学校の問題でもあること、教職を養成しやすい状況づくりをするなど根本的に対応しないと解決できないのではないか、引退教師を応援に依頼する際には常にいざという場合を想定して、準備しておかなければならない、教職の年齢構成を考え神学校入学生の見込みデータを明らかにするなど日本キリスト教会全体が危機感を持って臨んでほしい、神学生を養成しているいろいろな機関に求人広告を出すなど働きかけられないかなど、厳しいご意見も出ました。
最後に発題の先生方から、「皆が危機感をもって覚悟しなければならない」「今までは教会同士の交わりであったがこれからは協力だ」「現実に青年に働きかけ神学校に関心を持ってもらうようにしている」「これからは労苦をともに担うことが大切だ」といった締めのお言葉がありました。
2時間があっという間に過ぎた研修会でした。今年は参加のための各教会の負担金が100円×長老数分という額でした。それでも、10分間の休憩時間に集会室で出された婦人会ご奉仕によるお茶の接待は大いに喜ばれ、予算の範囲内の心ばかりのお茶にもかかわらず、参加者の心と体を温めることができました。厳しい現実の話が多い中、ほっとする10分間でした。

日本キリスト教会第68回大会

日本キリスト教会第68回大会は、10月17日(水)から19日(金)まで札幌北一条教会にて開催されました。住吉教会からは私(黒田)1名が正議員として出席しました。
議事に先立って開会礼拝が行われ、議長の冨永憲治教師(柏木教会牧師)がマタイによる福音書14章22~36節から「向こう岸へ」と題して御言葉を語られました。
新議長に久野真一郎教師(札幌琴似教会牧師)、新書記に傳英二教師(森林公園教会牧師)が選出されました。
今回は議事の他に2日目の午後、「大会の代議員制について」というテーマで協議会が開催されました。現在のように各教会、伝道所から議員を送るのでなく、各中会からその規模に応じて数名の代議員を送って大会を構成するというものです。具体的に何名送るのかなどの細かな部分はまだ議論の余地がありますが、大部分の出席者は代議員制への移行に賛成のようでした。
これと並んで今回の大きな関心事として、大会事務所と神学校校舎の今後のあり方についての議論がありました。昨年の大会において、この件を検討するための委員会が立ち上げられ、その報告がありました。結論としては、現住陪餐会員の減少による財政縮小、現大会事務所及び神学校の場所(埼玉県川越市)は都心から遠いなどの理由により、都心のどこかの教会の会堂内を借りて授業を行い、神学生は近くのマンションなどから通うというものです。都内の諸教会から近くなれば、学生以外にも開かれた講義を行ったり、大会事務の発送作業などにボランティアを募りやすくなったりします。種々の意見はありましたが、この件についても大部分の議員が賛成のようでした。
建議案としては、「日本キリスト教会創立70周年記念事業に関する建議案」が可決されました。「日本キリスト教会創立70周年信仰の宣言」(仮)の起草と制定、70周年記念の讃美歌の募集、ロゴマークの作成がその内容です。
教師試験には、澤谷由美子(湘南教会伝道師)、山本盾(尾道西教会伝道師)の各教師試補が合格しました。
選考委員会により、私は引き続き伝道局理事(任期2年)に選ばれました。
大会の前日には、全国教職者会が札幌琴似教会にて開催されました。今回は近畿中会が当番中会であり、兵庫地区が担当として奉仕しました。「新しい聖書翻訳について」と題し、翻訳事業に関わられた住谷眞教師(茅ヶ崎東教会牧師)による講演がありました。この翻訳は、日本聖書協会から今年の12月に出版される予定です。

2018年12月 目覚めて待つ

「いつも目を覚まして祈りなさい。」
(ルカによる福音書21章36節より)
牧師 黒田浩史

終末についてのイエス様の御言葉です。終末すなわちこの世の終わりが訪れる前に、次のようなことが起こると仰せになりました。
「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言う」(8節)。「戦争とか暴動のことを聞」く(9節)。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」(10-11節)。「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう」(26節)。

このようなことが起こった後にこの世の終わりが訪れるというのですが、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない」とも仰せになっています。「子」とはイエス様のことです(マルコ13:32参照)。「その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」とも仰せになりました(34節)。

しかし、イエス様を信じる私たちに対して「あなたがたの解放の時が近いからだ」(28節)と言われているように、救いの完成を待ち望み、希望のうちに終末を迎えるようにと言われています。
そして、「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい」と仰せになりました(34節)。この御言葉は、この世の物質的な豊かさを警戒するようにという意味でもあります。物質的に豊かであると、神様に頼らなくなる危険があるからです。

ですから、常に心を神様の方へ向け、「いつも目を覚まして祈りなさい」と仰せになりました(36節)。「いつも目を覚まして」というのは、夜も寝ないでという意味ではありません。「いつも心を神様の方へ向け、終末への相応しい備えをするように」とイエス様は仰せになるのです。
そうした相応しい備えとして、イエス様は愛の業を勧めておられます(マタイ25:31-46参照)。

2018年11月 最も重要な掟

「第一の掟は、これである。…『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
(マルコによる福音書12章29-31節より)
牧師 黒田浩史

一人の律法学者がイエス様に、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と尋ねました(28節)。
イエス様は、「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』」と仰せになりました(29-30節)。
これは、旧約の申命記に書かれている掟です(申命記6:4-5)。申命記ではこの言葉に続いて、「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」と書いてあり(申命記6:6-7)、とても大事な掟でした。

次にイエス様は、「第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい』」と仰せになりました(31節)。
これと関連して他の箇所では、「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。」とも言われています(一ヨハネ4:20-21)。

旧約では貧しい人や寄留者(土地を持たない外国人)などを大事にするように勧られています(レビ19:9-10参照)。
この箇所の冒頭には、「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」ともあります(レビ19:2)。神様が私たち人間を愛されたように、私たちも隣人を愛することによって、聖なる者になるようにと言われています。

「愛」という言葉は、日本語では主に男女の愛を意味する言葉だったそうです。キリシタン時代には聖書の愛を「ご大切」と訳しました。相手を思いやる行いのことです。
私たちにとって隣人とは誰のことでしょうか。イエス様の御言葉にもとづいて、少しでも隣人愛を実行できるようになりたいものです。

2018年10月 離縁について

「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。」
(マルコによる福音書10章6節)
牧師 黒田浩史

ファリサイ派の人々がイエス様に「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねました(2節)。彼らは、当時の宗教の指導者たちでした。イエス様を試そうとして、こう訪ねたのです。

イエス様は、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返されました(3節)。モーセは旧約時代に神様から律法を授かり、人々にそれを教えた人物です。

彼らは、「モーセは離縁状を書いて離縁することを許しました」と言いました(4節)。

イエス様は言われました。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(5-9節)

 

旧約の創世記には、天地創造の個所で「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」とあります(創世記1:27)。そして、神様は最初の人(男)を創造されると、彼に合う助ける者として女を造られました(創世記2:22)。

イエス様は「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」と言われましたが、創世記には「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」と書いてあります(創世記2:24)。

 

家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねました。イエス様は「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」と言われました(10-12節)。

 

離縁については、パウロは次のようにも書いています。「信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです」(一コリント7:15)。